『GWRC対J.S.K.S.定期戦≪表彰盾≫の謎』をめぐる交信

10月26日掲載 門田庄之助さんの寄稿を読んで、門田さんの1年後輩の常世田 公さんより、次のようなメールを送って頂きましたので、ご紹介致します。           

(復活定期戦実行委員会)

『GWRC対JSKS定期戦≪表彰盾≫の謎』をめぐる交信

 

慶應J.S.K.S.クラブ 1970年卒 常世田 公

GW・JSKS戦の勝利盾に関する先輩のご考察、楽しく読ませていただきました。

門田さんが謎の究明に図書館の司書を訪ねるなどの、(笹川以外には決して思いつかない!)、行動を取られたころにも感動ですが、あの蔓だか蛇だかわからない模様にキット何か意味があるかもしれないと考えたところには、門田さんのJSKSへの愛の深さとともに、相も変わらない発想の豊かさを再確認しました。(笹川は同期で文学部図書館学科出身)

披露された謎解きに得心しつつ思うことがいくつか。

まずあの盾を最初にみて19才の私が何をおもったかを思い出す。簡単なツクリである。「軽い」・「チャチ」という感じ。

特別うれしいものではない、という否定的な感じばかり。(ゴメン!)。

それが門田さんの謎解き〈1942年制作という解答〉を受けて、まったく別な記憶と重なりました。

私の岳父の海軍将校時代の記念品があるのですが、それが驚くほどチャチな短剣なのです。岳父が兵学校を卒業したのがすでに太平洋戦争勃発後で、「先輩たちの短剣にはひどく見劣りする」とよく嘆いていました。優先的に物資が回されたはずの軍部でもそこまでモノが不足していたということ。そこで思うのは、あの盾が1942年制作となれば、そのチャチさにも逆に深い意味があるということです。

制作にかかわった先輩たちには、その多くがおそらく学徒出陣なりで戦地に向かっただろうということ、ことによったらこの盾が70年も引き継がれるとはまったく思っていなかったこと、むしろこの盾の制作には、彼らの、ひたすら無駄なことに情熱を燃やしたいという刹那的な動機が隠されていた(かもしれない)ということ。などなど。

門田さんが明かした歴史を添えることで、あの盾が後輩への本当に貴重な遺産になると思います。

次に、干支ということ。

あのころの学生が崩し文字の「壬午」など簡単に読めたのだろうか、という疑問を門田さんが提示していますが、この手のものは、先輩が後輩に諭すようにして、「おまえなぁ、ここにはこの字が隠されているのだぞぉ、わかるかぁ?」と、したり顔で種明かしができるように、不鮮明にしておく(ぼかしておく)のが常道なのだと思います。

それよりも、わたしは、単に十二支ではなく、組み合わせとしての干支をどれほど当時のひとびとが当たり前のこととして認識していたかを面白く思いました。

今では丙午(ひのえうま)ぐらいしか使わないし、日本史でも「戊辰戦争」が干支使用のほぼ最後のように思います。とはいえ、東洋史ならば戊戌の改革だの辛亥革命があります。壬午事変というのもある。結論として、明治維新以降終戦までの日本は、まだ脱中国文化の途中にあって、五族協和を掲げる時代の先輩たちだから、まだ干支に当然ピンとくるものがあっただろうと推察します。また、時節柄英語表記はNGだろうし、「紀元二千六百二年」ではどちらかといいえばリベラルだった先輩たちの気に入りはしなかっただろうし……。

きりがないのでここまでにします。ともかく楽しく読みました。

 

2016年11月

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