JSKS1129会が50年前のGW戦を語る


2017年9月30日(土) 都内某所

1964年(昭和39年)11月29日、リーグ最終戦で7年ぶりに宿敵GWを破り、リーグ優勝を遂げた1965年(昭和40年)卒業のメンバーを中心としたJSKS OBの集い『1129会』の定例懇親会にお伺いし、当時のお話を聞いてきましたので、ご紹介致します。

昭和8年から相見えて来た両チーム。80試合以上もの激闘の歴史は、強烈な対抗意識と共に、時として長く語り継がれる勝利を生んでいます。今から50年以上も前のゲームを起点に、今でもその時の想いを胸に活動するJSKSのOBコミュニティー「1129会」。その存在そのものが、JSKSからGWに対する思い入れと敬意の現われであると言えます。こうした想いが、脈々として受け継がれ、最終的にたどり着いたのが、昨年の復活定期戦の開催と言えるでしょう。今年行われる定期戦でも、長き歴史を背負った学生クラブチームの雄として、両クラブのプライドをOB/OG達に見せてくれることを期待しています。

聞き手:JSKS1994年卒 坂井亮介

feature20171016_01

(後列左から) 関屋 渡邉 栗原 大島 伊東 元田 藤田 川久保 内藤 香川 山﨑
(前列左から) 元田夫人 大島夫人 原田淳子さん 松本 一之瀬 小林夫人 小林  (敬称略)

feature20171016_02

(1964年11月29日 7年ぶりのGW戦勝利とリーグ優勝)

1965年(昭和40年)10月発行のJSKS会報に、小林戴三さん(1983年10月逝去)が、11月29日のGW戦勝利に関する思い出を寄稿されています。
小林戴三さん寄稿文(PDF)

【1129会世代のGW戦 戦績】
昭和39年 ○JSKS (15) (11) ×GW JSKS主将:小林戴三
昭和40年 ×JSKS (9) (24) ○GW JSKS主将:佐橋國男
昭和41年 ○JSKS (9) (8) ×GW JSKS主将:小田晋吾
昭和42年 ○JSKS (17) (6) ×GW JSKS主将:近藤(遊佐)武煕
昭和43年 ○JSKS (10) (3) ×GW JSKS主将:山木介二
昭和44年 ○JSKS (12) (5) ×GW JSKS主将:鵤勝彦
昭和45年 ○JSKS (12) (3) ×GW JSKS主将:二島建夫

S40年卒(松本さん、香川さん、栗原さん、大島さん)

feature20171016_03

「GW戦は6年間勝っていなかった。自分達が1年生の時のキャプテンだった池松さんは、GW戦にえらく執念があり、GWを破ったら関西遠征に行くんだと宣言しちまった。我々の代では唯一小林戴三が1本目だった。」
「1年の時は強かった。JSKSとGWは全勝対決をするんだが、負けてしまった。(JSKS OB金子さん寄稿文参照http://gw-jsks.com/news/gwvsjsks1961)GW戦のために、試合前に合宿をやった。今じゃ信じられない。1年生で合宿に呼ばれたのは小林戴三と松本だ。最後に逆転されて劇的な負け方だったんだ。タッチに出せば勝てた試合だった。2年、3年の時にはコテンパンに負けた。」
「当時は慶應高校が全国優勝したメンバーの半分が体育会、半分がJSKSに来たんだ。」
「GW戦の前の合宿で呼ばれた1年生2人はFWだったから、BKリーダーの久保田さんが、BKの1年生はだらしないと怒っていたな。」
「当時は監督の原田一郎さん(1941年卒/1993年逝去)が毎日バイクに乗って練習にやってくる。当時娘さん(当日1129会参加の淳子さん)が高校生だった。練習の後は、原田さんの自宅に行って、飲んで喰って、原田さんの話を聞いた。決まって、食事の前はJSKSの話、食事の後は戦争の話。原田さんの肩には鉄砲の弾が入っていた。大島は話を全部覚えて真似してたんだ。」
「GW戦の勝利は、原田さんの情熱が乗り移ったからじゃないかな。原田さんの為に勝ったというよりも、原田さんの熱意が乗り移ったという印象だ。勝った時のことは今でも覚えている。やっている選手も勝つとは誰も思っていなかった。GWはBYBにコテンパンに勝った。JSKSはBYBに負けていた。とにかくやってしまえという気持ちでやったら、途中までシーソーゲーム。それでも勝てると思っていなかったが、スタンドオフの田中がどんどんタッチに蹴って、ボールは回さなかった。回すとノックオンするから。」
「フォワードもバックスも、GWに比べたらどちらも弱かったんだ。とにかく死に物狂いで耐える。そうしたらGWにも焦りが出てきた。ハーフタイムにマズいと思ったんじゃないか。その後試合に勝ったはいいが、勝てると思わずOBもそれほど見に来ていなかったと思う。キャプテンより先に原田さんを胴上げしたんだ。その勝利の日が11月29日。それを同期会の名前とした。その後、下の代のメンバーも入ってきたんだ。」

S41年卒(川久保さん、内藤さん、渡邉さん) / S42年卒(藤田さん)

feature20171016_04

「GW戦は39年に勝って、40年は負けて、41年で勝った。39年に7年ぶりに勝利したが、勝てると思っていないながら勝利した。」
「39年に勝った試合には出ていなかった。GW戦は勝てると思っていなかった。当時GWは強かった。負け惜しみじゃないけど、我々の代は実力通り負けた。昔は立教志木で試合をやった。孫が立教新座に居るので、この前行ってきた。当時ゴールラインに木立があったが、今でもあった。それははっきり覚えている。」

「39年の勝利は、小林戴三さんのリーダーシップだろう。あの人は自由闊達の精神があり、それをチームに活かしたし、リーダーシップもあった。JSKSに対する思いが強かった。」
「39年に勝った時には4年生が何人も出ていたが、我々の代は怪我人も多く、4年生が3人程度しか出られなかった。下級生に頼らねばならなかった。それもありチーム力も落ちたかと思うが、それが次の年から活きたはずだ。」
「勝った試合では、スタンドの田中がとにかく蹴った。徹底して蹴った。あとはウィングの神田がGWの早いウィングを止めたんだ。GWは、JSKSは弱いと気持ちで舐めていたところ、接戦になり、それが焦りになって個人プレーが出てきた。戦略的に良かった。」
「41年の時に勝てた要因は、幻の神田のタックル。相手がトライをしそうになり、普通ならあきらめるところ、神田がタックルをした。原田監督も一生もののタックルだと褒めた。神田は脳震盪ばっかり起こしていたんだ。足も遅く、運動神経もないが、泣けてくるくらい愚直。いつも逆タックルをして、麻布ではタックルを教えてもらえていなかったんだろう。泰三さんもよく脳震盪を起こしていたな。」
「41年卒の代はGW戦で勝てず、リーグ戦も優勝できなかったが、その後は連続優勝したんだ。チームのパワーを貯えた、礎の代と呼んで欲しい。土台になったんだ。」
「1年、2年下は強かったが、かわいくない世代だったな!」

S43年卒(一之瀬さん、小林さん、伊東さん) / S44年卒(元田さん)

feature20171016_05

「1年生の時に、7年ぶりの奇跡の勝利を目にした。何故勝てたのか?1年生だったし、何も感じていない。学生服を着てグランド居たが、何が起きたか分からなかったが、すごい勢いで盛り上がった。何だろうと思った。」
「その時の勝因は原田さんがまとめてくれたことは間違いない。家にしょっちゅう行っていた。特に小林戴三さん達は。原田さん、澤木さんに面倒見てもらっていたし、監督・コーチとの信頼感もあり、4年生はまとまっていた。当時は貧乏だったんだ。監督のうちに行って、メシを食わせてもらったんだ。」
「次の年(40年)は大差で負けた。そこからGW戦は5連勝している。当時はJSKSが強かった。楽勝ではなく、ギリギリだったが。それまではGWは強く見えたが、我々の代はそうでも無かった。」
「1年の時にはGWに負けたが、2年からは勝った。いつもカツカツだったけど、小田さんの時に勝って、精神的に強くなった。小林光さんの時、自分の時、鵤の時は負ける気はしなかった。GWとの交流は試合だけだったけど、高校が一緒だったり、個人的な交流はあった。灘高など。」
「当時はくるみの台頭や、BYBの復活もあったが、やはりGWは一番のライバルだった。GWはグレーとホワイトのジャージを着ると、膨張色で大きく、強く見えた。でも、43/44年卒の代では負けるという気は無かった。JSKSは走力があったと思う。黄金時代の幕開けは圧倒的な走力と練習だったと書いておいて。遊佐が引っ張ったんだ。合宿中は100本移動スクラム、100本ランパス。それが我々がやってきたこと。」
「もう1つ言うと、JSKSのバックローは良かった。接触した時やルースボールに必ず来ていた。安心してディフェンスにもいけた。第3列はすごかったんだ。ノールックパスでも取ってくれた。ポイントには必ずフォワードが先に来て玉を出せた。走ることが基本。我々あたりが一番強かった時代。黄金世代だと呼んで欲しい。」
「長い伝統で、JSKSの88年の間に、節目節目で立派な人が出てくる。小林戴三さんは、1年の時からキャプテンになるだろうといわれていた。小林さんが1年の時、全国優勝していた保善高校との練習試合でコテンパンに負けると丸坊主になった。トンでもない奴だと、回りは恐れていたんだ。」

S45年卒(関屋さん)
「我々の代は、間違いなく全勝優勝だろうと言われていだんだが、初戦で負けてしまった。でもGW戦では10対5で勝った。GWは侮れないという思いはあったが、GWには4年間勝ち続けることができた代だ。GWにも突出した選手は居なかったが、フルバックは麻布高校の先輩で足が速かった。100m11秒3。試合は、JSKSが先制、GWが追いついて5対5から最後JSKSがトライを取って勝った。最後はそのフルバックがばてて走れなかった。周りはヒヤヒヤした試合だと思うが、出ていた選手は体力で勝っている印象はあった。」